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百田尚樹さんの講演中止から考える言論の自由とは 「ボイス」宮台真司

TBSラジオ荒川強啓デイ・キャッチ」6月9日放送

ボイス 宮台真司

 

一橋大学の学園祭で小説家百田尚樹さんの講演会が予定されていたんですが、中止になりました。

百田さんは沖縄の基地問題で、「反日的な報道をする沖縄の二つの新聞社は絶対に潰さなあかん」と言い、千葉大生の集団強姦事件の犯人像をめぐっては「在日外国人ではないかという気がする」などと発言してきました。

こうした発言を問題視した学生団体や教員有志が講演の中止を要求していました。

百田さんは、「公演中止は言論弾圧だ」と強く反発しています。

また、海外からは次のようなニュースが入ってきました。

アメリカのハーバード大学に今年入学予定だった合格者のうち少なくとも10人が、SNSで差別的な発言をしたことによって合格取り消しとなりました。

差別的な発言と言論の自由そして大学の自治、非常に難しい問題が絡んでいるように感じるんですが、

宮台さんはどう捉えるといいんでしょうか。

 

宮台:まずね、百田さんの件は、小林よしのりさんもブログに書いているけど、言論弾圧のはずがないよね。

言論弾圧というのは、表現の自由という憲法の規定にあるように、統治権力が市民の表現を制限してはいけないという、その準則に抵触した場合、これが表現の自由の侵害すなわち言論弾圧なんですね。

たとえば、僕が百田さんを呼ぼうとしてたら、友人が「百田さんはやばいよ」と言ったとします。

それで呼ぶのをやめたとしますね。

どこが言論弾圧なんだ。

頭大丈夫か、おい。

僕は産経新聞について言ってるんですけどね。

そんなのはどうでもいいことだよ。小さい話だ。

問題は、ハーバード大学の問題だね。

差別と差別的な発言、ヘイトスピーチヘイトスピーチ的な発言、その境界線をどこに引くのかをめぐる問題、これは日本だけでなく、多くの国で問題になっていた。

例えば、シャリルエブドが襲撃されたときの風刺画をめぐる議論。

フランスでは、アメリカと違ってヨーロッパでは一般的にそうなんだけど、ヘイト発言には非常に厳しい規制がなされています。

しかし、風刺画に対しては、むしろ非常に緩いんだよね。

風刺があれだけ過激に攻撃していいんだったら、あの風刺自体がヘイトに似てるんじゃないかと、特にアメリカや日本の一部から指摘が出ていた。

この問題は非常に難しいんです。

日本でどこが難しいのか。

マイノリティーあるいは弱者であれば、強者に対してマジョリティーに対して、どんな罵詈雑言を使ってもOKだという議論をする人たちが、残念だけど日本に特有だよね。

これは日本が近代社会として非常に未熟だと言えるだろうね。

しかし、何がメジャーなのか、何がマイナーなのか、誰が強者なのか、誰が弱者なのか、というのは非常に曖昧な主観性に基づいている。

それだけではなく、実はカテゴリの複相というのがある。

例えば、難民男性による女性差別があったとしましょう。

難民はマイノリティーだよ、男性はマジョリティーだよ。

じゃあ難民男性による女性差別があったときに、男性だからマジョリティーだということで罵詈雑言をぶつけていいのか。

これは80年代に話題になったことだから敢えて言うけど、例えば先進国にいるだけで、「たかが女性差別くらいでピーピー言うな」と言う議論が貧困国から出てきたわけ。

「あんたら先進国で男女同権が行われたら、より資源浪費的になって、南側が搾取されるだろう」と言う議論が出てきて、フェミニズムに一定の影響を与えた。

つまり、何が差別として重大なのか。

民族差別もあるでしょう。

人種差別もあるでしょう。

ジェンダー差別もあるでしょう。

階級差別もあるでしょう。

国籍による差別もあるでしょう。

その中でどれが重大なのか。

こんなの強者弱者という問題じゃとても決められないでしょう。

だから、弱者だから何を言ってもいいなんてことは、あまりにもおバカさんでありえない。

次に、相手が組織だったらいいのかどうかという問題。

例えば、リベラルの人が言う「米軍は出ていけ」。

これはヘイトではないと言うんです。

なんでかって言うと、人ではなく組織だから。

人の属性だったら変えられないでしょ。

人種とか民族は。

でも、組織は参入離脱自由だから、嫌な組織だったらやめりゃいいじゃんみたいな話ね。

でもだったらさ、「朝鮮総連は出ていけ」と言った場合は、ちょっと違った印象になるよね。

サヨクの多くは「米軍出ていけ」「米兵はクソだ」みたいなことを、これはOKと言いながら、「朝鮮総連出ていけ」はダメだって言うんですよ。

これは、僕に言わせると、ありえない。

朝鮮総連出ていけ」がダメなら「米兵はクソだ」もダメなんですよ。

両方とも同じような扱いをする必要があるんです。

弱者だったら罵詈雑言言ってもいいという理屈は、ひとつはこういうこと。

リベラルならOK。

リベラルの定義は、「あんたがこっちの立場だったら、弱者だったら、耐えられるか」と突きつけることにあるから、弱者の主張はリベラルの主張なんです。

リベラルだったらヘイトOKみたいな、リベラルが言ってるんんだったらヘイトにならないと、アンチリベラルが言ってるんだったら強者の側が言ってるんだったらヘイトだよと。

しかしね、当たり前だけどイデオロギーや思想によって、言うことが差別になったりならなかったりすることは基本的にありえません。

もうひとつは、緊急避難の法理というものがある。

つまり、弱者が罵詈雑言言うのは、それ以外にやりようがなかったからだ。

しかし、緊急避難の法理は、ご存知の通り誰がその立場であっても他に手段はないということに誰もが合意できる場合に緊急避難に使っていい。

そうじゃないじゃん。

同じマイノリティーの人たちから「罵詈雑言はやめろよ」と逆に感情的な対立が激しくなって、居場所がなくなる。

偏見があるいは対立が激化して、ますます社会に居づらくなってしまう。

だからヘイトの問題は、立場によって、弱者が言えばヘイトにならないというのをやめてもらわないと困る。

法も習俗も何が正しいかというのは、相対的なものなんだよ。

国が違えば法律も違うし、同じ国でも法が変わることもあるし。

人間の言う正しいとはその程度のものだから、善人にだけ許され悪人にだけは許されない権利なんていうものはないんです。

法を犯した人は投獄されるし処罰を受けるけど、これは条件プログラムといって、誰にも同じ権利があるけど一定の手続きが決めた基準に該当した場合には、法律に従って処罰されるということになっているんです。

だから自称リベラルによるヘイトの数々はたくさんあるでしょ。新潟日報の報道を通じた中傷事件とか覚えていらっしゃいますか。

滅茶苦茶なこと言ってたよ。

「クズみたいな男と娼婦のお前との間に生まれた薄汚い餓鬼」

「差別主義者の子供は生きてる価値はない」

これがリベラル。

リベラだったら許されるの?

ありえないだろ、そんなこと。