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大洗被ばく事故に見る日本型組織文化の問題点 NHKマイあさラジオ「社会の見方・私の視点」

NHKマイあさラジオ「社会の見方・私の視点」6月13日放送

解説:筑波大学社会精神保健学教授・精神科医斎藤環

 

キャスター:今月6日先週の火曜日ですけど、茨城県大洗町にある日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターの施設で作業員が被ばくする事故がありました。

作業員が核燃料の貯蔵容器を点検しようとしたところ、プルトニウムなどを含む放射性物質の粉末が飛び散りました。

現場にいた作業員5人がいま治療を受けています。

この5人の肺からはプルトニウムは検出されていませんが、アメリシウムという放射性物質が検出された人がいるということです。

これ、非常に大きな衝撃を与える事故になりましたね。

 

斎藤:そうですね。

私は隣町の水戸市に住んでいるものですから、非常にゾッとしましたし、水戸周辺には東海村もあったりするものですから、こういった事故には全く無関心ではいられません。

原子力開発機構というのは、これまでもこういった事故を繰り返していますし、東海村の実験施設での放射性物質の漏れ出した場合の内部被ばくの事故とか、放射性廃棄物のずさんな管理であるとか、あるいは福井県にある高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故とか、トラブルが非常に続いていて、ずさんな管理が繰り返されているという点には、呆れるというか、驚くというか、びっくりしています。

 

キャスター:今回はプルトニウムをポリエチレンの容器に入れて、それを樹脂製の袋に入れていたと、そしてその袋をステンレスの貯蔵容器で保管していたということなんですけど、その貯蔵容器のフタを開けたところ、袋が破裂して中身が飛び散ったわけですね。

 

斎藤:そうですね。

プルトニウムという非常に有害な物質、最も有害な物質と言ってもいいと思うんですけど、これを樹脂のビニール袋で管理というのもにわかには信じ難いんですが、確か26年ぐらい前にフタをして、初めて開けたということで、破裂したのは想定外と言ってますけど、ビニール袋の劣化とか、それから聞くところによれば、放射性物質を長期間保存しておくと、ガスがたまってくる場合があるという説もあるようですから、ちょっと想定外というのは勉強不足といいますか、知識不足と言われても仕方がないんじゃないかと思います。

さらにびっくりなのは、直接触っているわけですよね。

普通はグラブボックスといって、密閉された空間で手だけ差し込んで操作できるような、そういう空間で扱うのがプルトニウムを扱う場合の、マニュアルとしてあるわけですけど、JCO事故のように一種の裏マニュアルがあって、ずさんな管理もOKというふうに身内内ではとっていたのかなってとてもあきれました。

 

キャスター:原子力規制委員会もこうした手順でよかったのか厳しく見る必要があると言っていますね。

 

斎藤:よくないことはわかりきっていますよね。

海外の扱い方と比べたっていいと思うんですけど、1999年にJCOで起きた事故がありましたけど、あの時も私は筑波にいましたので、人ごとではなかったんですけど、あの時から全く何も学んでいないんじゃないかと残念に思います。

これは、技術の問題ではないと思います。

原子力とか高速増殖炉とか理論は確立されています。

でも、それを扱う組織文化が成り立っていないと思います。

日本型組織の文化の中では、非常に厳密で緻密な操作を要するような原子力というものを扱うことは、手に余るのではないかという印象すら持っています。

組織の問題でどうしても忘れられないのが、2011年の福島第一原発事故ですね。

この時、安全を管理する立場であるべき保安委の職員4人が、職場を放棄して逃亡しているわけです。

 

キャスター:原子力災害対策マニュアルでは、原子力保安検査官というのは、原発の事故が起こったら、原則として、事故現場にいて現場の状況を確認しなければいけないとされている。

ところが、検証委員会の報告では、福島の事故が起きた翌日の5時ごろには、退避してしまった。

さらに、その後海水の注入が始まって現場で監視するようにと指示を政府から受けていたんですが、直接その現場の監視をしていなかったということがありました。

 

斎藤:驚くほど身内に対する寛大さがあるなという印象に、これまたあきれた記憶があります。

 

キャスター:こうしたことの根底に、先程日本型の組織文化があるんではないかとおっしゃいました。

これはどういうことでしょうか。

 

斎藤:有名な本で「失敗の本質」という本がありますが、そこで述べられている第二次大戦中に、日本が失敗した組織的要因の分析が、戦後に起こっている様々な組織防衛の現象にきれいに当てはまるということが繰り返されています。

「失敗の本質」で言われたことは、ガバナンスの欠如、グランドデザインの欠如、それから責任者の不在、いわゆる無責任体質ですね、またエビデンスなき楽観主義、言い換えれば精神論とか気合い主義ですね、それから空気の支配、その場の空気に支配されて、まともな議論が成り立たないと、それから失敗や撤退の構えがない、このほとんどが当てはまっているといっていいと思います。

ガバナンスの欠如という点から言うと、先程から申し上げているリスクマネジメントという点では本当に失格としか言いようがないような対応の甘さがありますし、誰が責任を取るかが曖昧になりやすいというのもありますし、楽観主義に関して言うと、今回の事件にしてもおそらくはいわゆる正常化バイアスがあったと思うんですね。

正常化バイアスというのは、多分悪いことは起こらないだろうという、なんとなくその現場で許容されている空気のことで、これがあると、相当危険なことをしているにもかかわらず、今まで大丈夫だったんだから今回も大丈夫だろうという、誤った考え方が受け継がれていきやすいということがありますので、そういう間違った楽観主義が現場を支配していたという恐ろしい事態だったと思います。

 

キャスター:特に日本で特徴的に起こることだとおっしゃっていますが、なぜそうなってしまうんでしょうか。

 

斎藤:いろんな要因があるとしか言いようがなくてですね、単一の要因とは思えないんですが、一番関係がありそうなのは、いわゆる縦社会の構造というのがあって、縦社会というのは身分の上下ではなくて、日本人は所属する組織が家族的になってしまうと、家族的な文化になってしまうと、結局身内になってしまって、身内に対しては非常に無駄に寛大になってしまうとかですね。

それから、家族的な集団なので、責任の所在がうやむやになりやすいとか、空気が支配しやすいとか、そういった要因があるように思いますが、そういった日本型の縦社会というのは、東アジア全般であるようで、結構日本に特異的なんではないかという印象を持っています。

儒教文化圏でも、中国や韓国では、まだ血縁の方が強かったりしますので、そこまで組織が家族化することはないと思いますけど、日本の場合は血縁以上に所属する組織の家族性みたいなものが優ってしまう瞬間が多いように思います。

 

キャスター:原発のことでおっしゃいましたけど、そういった傾向というのは、日本社会のいろんな組織に広がっていると考えた方がいいでしょうか。

 

斎藤:私の専門に関して言えば、学校内での体罰とか暴力に対する寛大さみたいなもの、この辺は散々外部から指摘されているにもかかわらず、学校の中では体罰は仕方のないものという別のロジックが温存されてしまっているわけで、この辺は学校という組織の中にも、病変があるのかなと思います。

 

キャスター:戦後70年を過ぎていますけど、なかなかそこは変わっていかないということなんですね。

 

斎藤:そう言わざるを得ない状況ですね。

日本のいろんな場所にそういった組織文化は隅々まで浸透していて、非常に変えることが難しいと、これからしばらくは変わらないと思っています。

そういった意味では、頑張って組織文化を変えるよりも、原子力から撤退した方がいいのではと私は考えています。