寛容な社会の罠
NHKラジオ「NHKマイあさラジオ」6月30日放送
今週のオピニオン
現代位相研究所 首席研究員 堀内進之介
堀内:今の日本の社会は寛容だと思われますか。
キャスター:インターネットなどを見ていますと、ちょっと目を覆いたくなるような書き込みがあったりですとか、あと自分にそれほど関係ないことにまで「不真面目だ」とか「不謹慎だ」とかそういう書き込みで盛り上がったりすることがありますよね。
なので、あまり寛容ではないという気が正直します。
堀内:そうですよね。
でも実は、そうした現象は少数の人の声が増幅された結果であることも多いんです。
ところで、ラウドマイノリティという言葉はご存知ですか。
ラウド=うるさい、マイノリティ=少数者、ということですけど、いわゆるモンスタークレイマーのように、些細なことでも騒ぎ立てる人たちと言われています。
例えば、ネトウヨと言われる過度に過激な言動を煽る人たちがいますよね。
中にはヘイトスピーチに近い書き込みをする人たちもいます。
ネット上では大変に賑わっているように思われますけど、様々な研究で、実は全ユーザーの1%程度ではないかと見られているんです。
繰り返しその人たちが書き込むことによって、ネットを覆っているかのように見えてしまっているということです。
これはネトウヨと呼ばれている人たちだけに限らないんです。
少数の人の声がネットの発展によって社会全体に響き渡るようになりました。
これは一体どんな社会なんだろうか。
少数意見を無視して来た、あるいは物理的に無視せざるを得なかった時代ということよりも、今はある意味で寛容な社会と言えるのではないかと言えるんです。
キャスター:そういった書き込みをされると心がざわつきますよね。
なぜ、私たちはそうした少数意見を無視しないもしくは無視できないんでしょうか。
堀内:例えば「不真面目じゃないか」とか「不謹慎じゃないか」という書き込みは、その内容自体は正しいことも多いんです。
過去にこんなことがありました。
ある消臭剤のテレビCMで、消臭剤の力を試すためにクサヤの匂いと対決させるという演出があったんです。
これに対して、クサヤの生産者や視聴者から、クサヤの匂いだけを強調する不適切な表現だとして、会社にたくさんのクレームが来たそうです。
結局会社は、このCMを放送中止せざるを得なかったわけです。
でもこれ自体は、ある視点からしたら正しいとも言えるわけです。
そしてその正しいことは誰も無視できないですよね。
キャスター:確かに正しいからこそ反論もできないですよね。
堀内:さらに少数派の意見について、「理解を示します」あるいは「耳を傾けます」という姿勢を取らないと、許されないという社会からの圧力を感じることもあるはずですよね。
以前、千葉県の市川市で、近くに保育園ができることに反対して、近隣の住民から反対の声が上がり、事業者や市が撤回を表明したことがありました。
やはり地域住民の声にきちんと耳を傾けないといけないという姿勢が、撤回へと向かわせたと言えると思います。
キャスター:多くの人にとって良いことでも、事業者にしたら、地域住民という少数派を無視できないということですね。
堀内:ただ、こうした動きに対して、「子供の声がうるさいとは何事だ」とか「なんて不寛容な人たちだ」という、住民への批判が全国から市川市などに届きました。
この態度自体も、「お前の態度は寛容ではない」と問い詰めている点では、むしろ寛容ではないんですけど。
本当に寛容な態度であれば、そうした住民の意見につぶさに耳を傾けた上で、さらに対策など建設的な議論をするということであるはずですね。
今のこの状況は、不寛容と不寛容のぶつかり合いにような感じですね。
こうした状況を見出しているのは、少数意見でも社会に響く、という寛容な社会が貫徹できた、達成できた結果だとも言えるんじゃないでしょうか。
キャスター:皮肉な感じもしますね。
気になるのは、そうした、間違ったことは許されないという空気感みたいなものだと思うんですけど、これはどこから来るんでしょうか。
堀内:いろいろ議論されてますけど、ひとつには中間層と呼ばれてる人たちがどんどんいなくなっているという現実があると思うんです。
そのうえ、中流意識が崩壊していますから、正しさも多様化して、かつてであれば、こう言っとけば大丈夫だっていうのがあったと思いんですけど、それがなくなって来ていますよね。
ですから、「これが正しい」みたいなものが現れると、みんなが雪崩を打ってそれに縋るようになってしまった、ということもあると思います。
キャスター:あまりに寛容な社会になったから、少数の強い意見にも対応しなくてはいけなくて、でも結果として、何か大事なことができなくなってしまうということはないでしょうか。
堀内:最大の問題は、少数意見に耳を傾けているようで、問題の本質に向き合わなくなる、ということ。
聞いている振りをして、実は問題を覆い隠してしまうことだと思うんです。
たとえば、先ほどの保育園のケースで言うと、よく近所の住民に話を聞いてみると、「静かに暮らしたいと思ってここを買ったのに、いきなり保育園ができると聞いてびっくりした」、要するに、手続きへの不信感があるということが言われていたり、あるいは「交通事情に配慮してほしい」とか、「定員を減らすなどしてくれたら反対はしなかったのに、待機児童問題は理解しているから」などという声もありました。
つまり、クレームや批判が来ても、即座には反応しないこと、これが大切なんではないでしょうか。
まず受け止めて、じっくり話を聞いて、対応を考える。
時間もエネルギーも当然かかりますけど、その方が結局は近道であったりもするはずです。
もっとも良くないのは、いろんな反対意見をさきどりして、考慮して、忖度して、最初から何もしないという態度が蔓延していくことだと思うんですよ。
キャスター:となりますと、先ほどのクサヤのケースでも、新しいCMを作るとかっていうことがあり得るということですかね。
堀内:そうですね。
実際クサヤを焼く時の匂いを気にする人のために、クサヤを焼いたもの、スティック状にしたものはすでに売られているんです。
確かに焼く時の匂いをどうにかしたいというニーズはありますよね。
消臭剤で焼く時の匂いを消して、その後クサヤを食して「こんなに美味しいのか」と味わってみるとか。
消臭剤もクサヤもWINWINになるようなCMなんかいいんじゃないでしょうかね。
キャスター:時と場合にもよるでしょうけど、粘り強くコミュニケーションが新しい価値を生み出すかもしれないということですね。