美しい国”日本”は、寿司のシャリを残さないことから 山田五郎
TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ」7月6日放送
ボイス 山田五郎
6月16日付のウェブ版の週刊女性プライムに、
「ネタだけ食べてシャリは残す、SNSで増殖中。 食べ残し写真の現状に迫る」
という記事があったんですけど、回転寿司とかでネタだけ食べてシャリを残したり、大盛り店とか食べ放題とかバイキングに行って、食べ残したものを写真に撮ってSNSで公開する人が増えてるそうなんです。
今やSNSって、ダメな人がダメな行いを自慢げに世界に披露するツールとかしてる訳ですけど、
ここでも恥を恥とも思わない人がいるということなんですけど、
言うまでもなく、日本の食べ残しの多さは世界で群を抜いています。
いろんな数字ありますけど、よく言われるのが年間1700万トンの食品廃棄物が出ている。
そのうち食べられるのに捨てられている、いわゆる食品ロスが642万トン。
世界中で行われている食糧援助が2014年度で年間320万トンだから、
日本人が1年に食べ残した食糧だけで世界の食糧援助2年間賄える計算になる訳です。
しかも日本の食料自給率って低いでしょ。
2015年度だと、カロリーベースで39%、生産額ベースだと66%しかない訳です。
わざわざ輸入した食料を捨ててる訳で、二重の意味で資源の無駄なんです。
例えば漁業でも、マグロや鰻、絶滅しちゃうんじゃないかっていうぐらい取りまくって、
その挙句捨ててる。
これは地球に対する犯罪行為と言えるんじゃないか。
食べ残しを得意げにSNSに上げてるっていうんだから、日本人はこんなに傲慢ですよって宣伝してるようなもんですよ。
どんな食べ物であれ、食べ残しは罪だと思うんですけど、私が個人的に一番いかがなものかと嘆かわしいのが、寿司のシャリの食べ残しなんです。
なぜかと言うと、寿司は日本の誇る食文化とか言うじゃないですか、だけど当の日本人が寿司のなんたるかをわかっていなくて、寿司を冒涜してるんですよ。
だって握り寿司というのは、ネタとシャリが一体となってこその寿司でしょ。
これ、一緒になってるから食いもんなんですよ。
ネタとシャリの味や量のバランス、あるいは握り方で味が変わってくるもんだし、その味が寿司の味じゃないですか。
だから、ネタだけ食べるなら、つまみや刺身で食べてればいい訳ですよ。
さらに、私は古い日本人ですから、お米を粗末にすることが、どうにも感覚的に許せないんですよ。
どうしても残すんだったら、むしろネタを残してシャリを一粒たりとも残すなとさえ、言いたいくらいの感じなんですよ。
僕らが子供の頃って、米って八十八と書くと。
お米一粒に八十八人の手がかかってるんだから、一粒残さず感謝して食べなさいと教えられたもんじゃないですか。
お茶わんに一粒残ってただけでも怒られたもんですよ。
そういうところから、食べ物を粗末にしちゃいけないよと、罪深くて恥ずかしいことだよっていう感覚が、お米一粒から始まって、養われた訳ですよ。
米を大切にしない人に日本の文化を語る資格なんかないじゃないですか。
最近お寿司が、ネタばっかり重視する風潮があると思うんですけど、これはわかりやすい特徴ばかりアピールするお店が、あるいはマスメディアにも責任の一端があるんじゃないかと思うんですよ。
例えば、ネタが大きいってことを無条件にいいって言うでしょ。
穴子の一本づけですとかあるんだけど、一本の穴子にシャリがちょんとついてるだけで、バランス完全に崩壊してて、もはや寿司じゃないですよね。
穴子の焼いたやつ食ってる方がいいですよ。
あるいはネタの新鮮さ、それも生きてる魚をさばいたばかり的な意味での新鮮さをやたら賛美するんですよ。
これもまた、寿司のなんたるかがわかってない証拠じゃないかと言う気がします。
寿司ってもともと魚と米を時間をかけて慣らしていた訳ですよね。
それを握ってすぐに食べられるように、ご飯を酢飯にして、魚を調理して、それを握って合わせるようにしたのが江戸前のにぎり寿司じゃないですか。
全てのネタは基本的に何らかの仕事が加わっているもんです。
さばいたばかり的な新鮮さを求める食べ物じゃない訳ですよ。
だから、ハマグリなんか生で食べられないですし、コハダだって酢で何日か締めた方がうまいし、マグロだって少し寝かした方が絶対旨味が出ますよ。
だからさばいたばかりの美味しさも確かにあるんですけど、それはお刺身で味わえばいいことで、寿司に求めるものじゃないですよね。
それはワインに新しさを求めるみたいなもので、全くナンセンスだと思うんですよ。
だけど、ネタが大きいとか、さっきまで生きてました、みたいなことは非常にわかりやすいから、そこのポイントばかりアピールするお店とかメディアが増えて、そういうのがシャリ軽視に拍車をかけてるんじゃないかなという気もします。
さらに、特に女性の間で多い、炭水化物悪者論です。
炭水化物は全部悪者みたいに言って。
これがまた、お米を粗末にする風潮を加速してるんですよ。
食べないのはいいけど、だったらつまみや刺身食ってろよって話なんですよ。
最後に、これはお寿司に限らないんですけど、食べ物の値段が安すぎること。
これが米だけでなく、全ての食べ物の食べ残しを加速してるような気がするんですよ。
安いからつい頼み過ぎちゃうし、その挙句残すことに対しての罪悪感とかもったいない感がなくなりますよね。
ありがたみが薄まっちゃいますよね。
お店の側も、安さを維持するために、薄利多売にしますから、たとえ残してもらっても、たくさん頼んでもらった方がいいっていうような、そういう商売になってきますし、また安い輸入材料に頼りがちになって行く訳ですよ。
結果として、日本はどんどん輸入して、どんどん食べ残す罪深い国になっていってしまうんじゃないかという気がするんですね。
経済原理に任せてたら、この流れは止まらないですよね。
加速する一方ですよ。
私は、ここにこそ、教育とか意識改革が必要だと思うんですよね。
よく食育とか言いますけど、食育ってなにも、子供にいいもん食べさせることばかりが食育じゃないと思うんですよ。
むしろ食べ物の大切さとかありがたさを教えて、食べ残さない子を育てるのが本当の食育なんじゃないかという気がするんですけどね。
いいものを小さい頃から食べさせておかないとダメだとか言ってますけど、逆に子供の頃に不味いもん食わせたり、お腹空かせたりした方が、食べ物のありがたさがわかってよっぽど食育になるんじゃないかと思いますよ。
安倍首相も常々、「日本は瑞穂なす美しい国」とかおっしゃってるじゃないですか。
道徳教育が重要とかおっしゃってるじゃないですか。
瑞穂の国記念小学院こと森友学園ともかつてはそこのところで意気投合していた訳ですよ。
だとしたらまずやるべきことは、お米一粒を大切にする心を教えることじゃないかなという気がするんです。
森友も教育勅語とか暗唱させても、子供にわかんないんだから、お米一粒残さないようにしましょうっていうのをみんなで暗唱してた方が子供にもわかりますから。
よっぽどそういった教育の方が重要なんじゃないかなという気がします。
お米一粒のありがたさがわかってこそ、お寿司とはどういうものなんだとか、日本の食文化というものもわかるってもんじゃないですか。
シャリを平気で食べ残しておきながら、そういう人に限ってすぐ、「おもてなし」だの「四季折々の食文化」だのと言いたがるんだけど、コメ残しといてよくそういうこと言えるよなっていう全然説得力がないですよ、ということで、もちろん食べ物の大切さはお米に限ったことじゃないですけど、日本がどうこう言うんだったら、やっぱり米一粒の大切さありがたさをしっかり子供のうちから教育しないといけないと思います。