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民意とは何か 社会の見方・私の視点

7月24日放送「NHKマイあさラジオ」

解説:上智大学法学部教授  三浦まり

 

キャスター:東京都議会議員選挙では、都民ファーストの会が圧勝しました。

一方で自民党は歴史的な大敗を喫しました。

民意が明確な審判を下したという趣旨の報道がよく見られましたね。

 

三浦:私は民意という言葉をなるべく使わないようにしています。

と言うのも、民意という言葉には、少し暴力的な響きを感じているからなんです。

いろいろな手段で何が民意なのかということを見極めて行く必要があるんですが、とりわけ権力を持っている人が「これが民意だ」というかたちで勝手に民意を規定してしまうことが多いような気がしています。

よく権力を持っている与党の側は、選挙で決まったのだからと半ば白紙委任で自分たちの意見が正義なんだというような態度をとることがあると思います。

これに対して、例えばデモをしている人たちは、「いやいや選挙だけじゃない、デモも民意を届ける手段だ」という言い方をすると思います。

実際としましては、どちらも民意であるということになると思います。

様々なかたちで民意を表出することができるわけです。

多数決のことを考えると、当然多数決で決まってしまうと少数の人たちの声は反映されにくいということになります。

例えば、沖縄の基地問題を全国民の投票で行なった場合には、沖縄の人たちの声は相対的に小さいわけですから、その小さな声はかき消されてしまうということは十分に起きうるんではないかと思います。

また選挙に関して気をつけないといけない点は、得票数と議席数は必ずしも一致しないという点です。

 特に小選挙区では、乖離が大きく出る傾向にあります。

特に第1党は、過大に議席を得ている点に注意をする必要があります。

議席では圧倒的に多数でも、得票ではそうでもないことが起きうるわけです。

また棄権する人が多い場合はなおさら、有権者全体の中では少数の人が支持したに過ぎないにもかかわらず、第1党では議会で圧倒的多数をとることがあります。

ですから私たちは、民意という言葉で思考停止をしてはいけないですね。

様々な意見があって、様々な意見の表現方法があるということを踏まえる必要があると思います。

どうやって社会全体で多様な意見を表明して、それを集約して合意形成に導くのか、そこが肝心な点な訳です。

 

キャスター:今おっしゃった選挙で示される民意というのは、様々な意見表明のひとつでしかないということで言いますと、選挙で意見表明できる人も限られてますよね。

 

三浦:そうなんですね。

そもそも選挙する権利がある有権者しか選挙では意見表明ができません。

選挙権が施行されて18歳以上ということになりましたけど、逆に18歳未満の人たちの意見は選挙には反映されません。

さらに言えば、これから生まれて来る子供達、次世代の人たちの意見も決定には反映されません。

しかしながら、有権者の私たちが決定を下す環境問題とか原発の問題というのは、長い時間を超えて次世代の人たちにも大きな影響を与える問題な訳です。

このように考えていくと、有権者が一体この決定というのはどのぐらいの広がりがあるのか、時空を超えて場合によっては国籍を超えて、選挙権のない人にも影響を与えているということを考えて、決めていく必要があるということが言えると思います。

 

キャスター:意見に多様性があるということを認めた上で、次に大事になって来ることはなんでしょうか。

 

三浦:重要な点は、私たちの意見は変わり得るということなんです。

人々の意見は変わり得るということを、お互いに信頼しないと民主主義を営むことはできないわけです。

というのは、社会にはいろんな人がいますから、価値観も人生経験も人生観もそれぞれ違うわけです。

全員が一致する満場一致というのはなかなか難しいわけです。

その時にどうするのか、民主主義というのは意見が違う人の間で平和に共存しながらものを決めていく仕組みな訳です。

そうでない極端な例というのは、内戦状態になってしまって、異論を弾圧して場合によっては殺してしまうというのが戦争状態になるわけですが、そうではなくて平和に共存するための知恵として民主主義を機能させていくためには、お互い自分も含めて意見は変わり得るんだということを共通の認識にしていく必要があるわけです。

意見が変わるというのは、どうして起き得るかということなんですが、あまり深く知らない状態で考えた意見と、それから事実関係とかデータを見たり、当事者の気持ちを聞いた時に出て来る意見というのは、変わることというのは、あるわけです。

そういった、意見は変わり得るということ、すなわち意見形成の過程を丁寧にやっていくということがとても重要です。

もちろん、変わらない属性とか変わらない価値観もあるわけです。

年齢ですとか、どこに住んでいるのか都市部なのか農村部なのか、性別であるとか、もあって、それによってモノの見方というものも変わって来るわけですが、しかしながら対話をすることによって、変わり得るということを信じるということがとても必要ではないかと思います。

 

キャスター:今はそういった余裕がなくなってきている気もしますね。

 

三浦:ある種決められる政治がいいとか、白黒をつけるのが民主主義だという風潮が90年代以降に顕著になってきたと思います。

合意形成をしていくと、総意といったものが作られていくので、結局責任の所在がわからないとか、合意形成にあまりに時間がかかってしまうので、グローバル化の流れの中でスピードがないんじゃないか、そういった批判が90年代以降に出てきて、そうであるならば、丁寧な合意形成よりも決められる政治の方がいいということになってきたわけです。

しかし、意思決定をする人に説明責任を負わせる必要があるわけです。

もしスピード感のある意思決定をしていくということになりますと、少数の人が決定をしていくわけなんですが、その少数の人たちがきちんと説明責任を負わないのであれば、それは独裁になってしまうということになるわけです。

つまり、決定をした人には責任があるわけです。

責任の所在は明らかになる、でも何か起きた時の責任を負わせられないんだとすると、それはもはや民主的ではないということになります。

日本の現状を見てみますと、野党が国会の開会を求めても、政府は応じないような先例ができてますし、メディアの追求も残念ながら甘いように思います。

また、今問題となっているような、原発ですとか、消費税をどうするのかとか、あるいは憲法をどういうふうに変えるのかといった問題は、とても重要な問題な訳です。

国論としても割れているような状態にあるわけですが、このような大きな選択をしなければならない局面で、またその選択が日本の未来に極めて重大な影響を与えるような時には、誰かに任せればいいというわけにはいかないわけです。

重要な点は、小選挙区で勝ってきた議員というのは、自分には投票しなかったかもしれない人を含めて、その小選挙区での代表なんです。

自分の選挙区を見渡せば、いろんな価値観、いろんな人生経験、いろんな利害関係の方がいるというのは明らかなわけですから、そういった人たちの声を丁寧に聞き取って、下から積み上げるかたちで合意形成をしていく必要があるわけです。

その議員が聞き取った声を党内で集約していって調整しながら、必要な時には妥協をしていくということもあると思います。