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朝鮮学校の無償化除外は「違法」。大阪地裁が学校側全面勝訴の判決

7月28日放送 「荻上チキ・Session-22」

国が朝鮮学校を高校無償化の対象から外したのは違法だとして、学校法人大阪朝鮮学園が処分の取り消しと適用の義務づけを求めた裁判で、大阪地裁は28日原告側の訴えを全面的に認める判決を言い渡しました。

高校無償化は民主党政権当時の2010年4月に導入され、当初は朝鮮学校も審査の対象となっていましたが、北朝鮮による韓国への砲撃をきっかけに手続きが中断、政権交代後の2013年2月に当時の下村文科大臣が北朝鮮朝鮮総連との関係を問題視し、無償化の対象から外されていました。

判決で大阪地裁の西田裁判長は、拉致問題などによる政治意見に基づいて、朝鮮学校を無償化の対象から外したのは、法の趣旨を逸脱しており、違法で無効だと判断、対象から除外した国の処分を取り消して、無償化の対象にするよう命じました。

同様の裁判は、全国5つの地裁で起こされていますが、初めての判決だった今月19日の広島地裁とは逆の結論になりました。

 

荻上チキ

朝鮮学校の無償化除外が違法ということですけど、地裁によっていろんな判決が出ると思うんですが、この後高裁・最高裁でそれぞれ裁判が上っていって、その中で判決が決定すると、どういった法的な判断になるのかということがより問われてくることになるので、これはまだまだ継続する案件ですね。

朝鮮学校については、もともと民主党政権の時に高校無償化が導入されまして、当時菅内閣の中で、朝鮮半島での緊張状態が高まっていることを受けて、朝鮮学校に関しては無償化を延期というか据え置いたわけですね。

その後、自民党政権政権交代をしたら、今度は北朝鮮に影響があるということで、無償化の対象そのものから外すということになったわけです。

そうなると、当事者からは、自分たちがそもそも保留にされて、その後は対象からすら外されてしまったということで、自分たちに当てはまらないように法律が変えられたという見え方になるわけですね。

もともとの立法の趣旨から考えると、この高校無償化という議論、例えば高校無償化以外にも就学前の無償化とか他にも無償化の議論は必要だろうという議論はあるんですけど、この高校無償化ということも含めて、条約に批准した段階でいつかはやらなくてはならないという政策のターゲットになってるんですね。

国際人権規約というものに批准した段階で高校なども含めて、様々な無償化の導入というのを進めていきましょうということになっているんです。

特にそのことが盛り込まれてるのが、国際人権規約の13条で、無償教育の漸進的な導入ということで、全ての者に均等に機会が与えられるようにしようとか、教育の機会をしっかりと確保していきましょうということが書かれているわけです。

そうしたものの理念というものに則って進められて、無償化の議論は進められてきた。

13条というのは、初等教育は例えば義務にしようとか、高等教育は例えば無償化を進めて行こうとか、中等教育も無償化を進めて行こうということが書かれているわけですけど、その一番の大本の文章では、この規約の締約国は教育についての全ての者の権利を認めるということから始まってるんです。

その後に、締約国は様々な人格の形成などについて尽力する云々書かれている中で、全ての者に対してという言葉がつけられた後に、諸国民の間及び人種的種族的または宗教的集団の間の理解・寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のためにこういった条約に批准をして、そのために活動すると書かれている。

つまり、その後に書かれている無償化という議論も、すべての国民人格の形成や権利を確保することと同時に、国民だけでなく人種間・宗教間の相互理解を進めるためのものなんだということが、かかれているわけですね。

そうしたことを考えると、今回の朝鮮学校の無償化除外というのは、そもそもの日本の法律を弄って対象外にしたけれど、もともとの条約の理念からすると、全ての者に対して権利を認めると、その者というのは、国民に限定されず様々な対象に広がっているというような条約になっている、こういった条約を国際的に批准することによって、どの国民・どの民族が他の国に行ったり、他の国の国民になったりしても、教育を受ける権利はどの国でもみんな提供しましょうということが世界的に確保されるわけですね。

ですからこれは日本だけの問題じゃなくて、世界中でこうした無償化という議論を進めていくことで、結局は人類全体が教育を受ける権利を確保できますということにつながっていくわけです。

でも今回の法律の様々な動きというのは、その方向性から見ると、明らかに条約からはミスマッチであったりするわけです。

だから司法の判断というのが、今回の法律のどの段階での経緯などを当てはめるのか、政治的判断を当てはめるのかだけでなく、条約の議論というのがどこまで触れられるのかとか、そうした観点も含めてこれからの様々な地裁の動き、高裁・最高裁の動きを見ていく必要があると思います。