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行政文書を歪めさせないために大切なこと

7月28日放送 「NHKマイあさラジオ」社会の見方・私の視点

情報公開クリアリングハウス理事長  三木由希子

 

キャスター:お話は、市民の知る権利を守る立場から情報公開の問題について長年取り組んでいる情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子さんです。

今週、加計学園獣医学部新設などをめぐって、衆参の予算委員会で閉会中審査が行われました。

この一連の動きのきっかけのひとつになったのが、文部科学省の職員が作った文書でした。

今月上旬のことなんですが、松野文部科学大臣事務次官など幹部3人を口頭での厳重注意しました。

その理由がこの動きのきっかけになったあの文書の取り扱いが不適切だったということなんです。

三木さんはこの大臣の行為に対してどうお考えですか。

 

三木:問題の文書というのは、「総理のご意向」とか「官邸の最高レベルが言っている」とか、ある意味官邸側が獣医学部新設について介入をしたようなことが書かれている文書なんですが、この文書は個人メモだったはずなのに共有されていたということを問題にして、文書の取り扱いが不適切ということで口頭厳重注意ということを大臣がしたということですね。

そのこと自体は、業務上必要で共有していたはずの文書を個人メモだから間違って保存してはいけませんというようなことを言うことは、公文書とそうじゃないものを勝手に大臣が自ら支持して区分けするようなことを言っていると言うことなので、これは文科省の信頼にも関わりますけど、文科省が起こっている公文書管理の信頼性にも関わるもので、大変問題だと思いました。

 

キャスター:改めて行政文書というのはどういうものなのか、教えていただけますか。

 

三木:行政文書というのは、3つの条件があって、一つは職員が職務上作成取得したものというものです。

これは割と広いんですね。

二つ目の条件が、その文書が組織的に業務上用いられているということなんです。

組織的に用いるというのは、例えば今回の文書もそうなんですけど、上司に報告するために共有しましたとか、あるいはメールで添付して送信しましたということになれば、これは業務上必要としてみんなで用いましたということで公文書にあたりますということになります。

そういう風に使った文書については、行政機関として保有している状態にしましょうということで、三つ目の条件が行政機関が保有しているということになります。

 

キャスター:行政機関の職員が職務上作ったもの、それからそれが組織内で共有されたという事実があるということ、それが行政機関内で保管されていると、この三つが揃っていれば法律上は行政文書となるということですね。

今回松野大臣はこんなことを言っています。

「個人で保管すべきだった文書を複数の職員が共有していたことが不適切だった」

この点を三木さんはどう考えますか。

 

三木:話が逆転してると思います。

例えば行政文書って、文書を作る時に職員たちは、最初は自分の手控えとかメモとして作ったかもしれないんですけど、それが業務をする上で必要になった時には、そのメモを共有することは普通にあるんです。

なので、個人メモか行政文書かという違いというのは、本人が個人メモのつもりだったかというのは関係なくて、利用のされ方によって行政文書になっていく、そういう性質のものなんです。

本来であれば、利用の仕方によって行政文書性が出てきたものは、行政文書として管理しましょうという風にしないといけないんです。

今回の件でいえば、確かの最初はメモだったかもしれないけど、結果的にみんなで経緯を共有するために用いているわけですから、それは利用のされ方によって行政文書になったという認識で、文科省が管理しなきゃいけないというふうに言わなきゃいけないんです。

ところが大臣がおっしゃってるのは、逆向きの話をしてるんです。

そこが一番おかしいんです。

 

キャスター:大臣は「そもそもの正確性を欠くメモだったから、これを共有したことが問題なんだ」と指摘しているようにも感じるんですけど、この事実じゃない間違ってるかもしれないメモを共有すること自体は問題なんでしょうか。

 

三木:それは中身の評価になってくるので、なかなか外からは判断しにくいところがあるんですけど、一番大事なのは、今回の問題は少なくとも中身の評価は別にしても、文科省はあそこに書かれてるような「総理のご意向」とか、そういうことがあるという前提で獣医学部新設についての内部での手続きを進めていたことを示す文書だったということなんです。

だから、確かに内容は色々と言われてますけど、文科省の認識はああいう認識であったということが一番重要なポイントなんです。

それがもし間違ってるんであれば、それは言った言わないの話ではなくて、もう一方の相手型である内閣府の側がこういう経緯でしたということを内閣府側の記録としてちゃんと示せばいい。

そこで間違ってるという点があるのであれば、記録同士の間で調整をして必要な修正をしていけばいいという話に本来はなるんです。

100%正確な文書しか行政文書としては認められないという話は変なんです。

間違ってればそれを直すということが大事だと思います。

 

キャスター:今おっしゃったのは、例えば文科省の方は内閣府の方から総理のご意向がこういうふうにあると思ってああいう文書を作ったと、内閣府はそんなこと言っていませんよというところがあるならば、内閣府の方が文書としてきちんとこうでしたということを示して、それでこれは違うんだと、公文書同士で突き合わせて本当はどうだったのかという議論をしなければいけないのに、内閣府側からそれが出てこないのがおかしいのではないかという意見ですね。

 

三木:結局、交渉とか協議って、当事者か必ず2箇所以上あるわけです。

だから、それぞれの立場で記録って普通できるんです。

であれば両方の記録を出して見ないと、言った言わないという話は解決できませんよねという話に当然なるんです。

今のところ内閣府は、記録がないと一貫して言っているので、内閣府側はどちらかといえば記憶で話している、文科省は記録を出してきているという状態なんです。

こういう状態だと、ある意味水掛け論で終わってしまうので、本来の議論ではないわけです。

今回、文科省から出てきている文書は、いろいろと議論はありますけど、やはりああいう記録を作るべきだというところを、まず政府も官邸も含めた政治家も確認してもらうことが必要だと思います。

 

キャスター:政府はガイドラインの見直しを行うと言っていまして、こんなふうに言っています。

「職員の間で共有された文書を公文書として認定して保管する場合の基準を明確にする」

共有された後、その文書が保管されるべきなのかどうかというところのライン引きをするんだと。

これは今までの話を聞いてるとおかしいというか不思議な感じもするんですけど。

 

三木:そうなんです。

本当は行政文書としての要件というのはどう使われたかというのが一番重要なんです。

だから、内部で共有されましたと言った時点で管理をしなきゃいけないということになるんです。

内部で共有されて使ったけれど、何を管理するか別問題という話をこれから政府化するのであれば、それは筋違いだと思います。

もともと行政文書という定義は、情報公開法が出来た時に作られた定義で、一定の手続きとか形式的な条件で行政文書に当たるかどうかを判断しちゃうと、プロセスの文書なぜこうなったのかという文書がきちんと残らない可能性があるということが、行政文書の定義の議論の中心的な課題だったんです。

なので形式的に基準を設けてどういう条件を満たしたら保管するかということではなくて、どう使ったかという使われ方で決めましょうということを20年前に決めたということなんです。

そこに変な基準で形式的な条件を入れてしまうと、20年前の議論に戻ってしまうということです。

今そういう議論を政府がしようとしてるなら、それは大いなる後退なので、なんとかそこはやめて欲しいと考えています。

 

キャスター:ガイドラインの見直しというと、いい方向に向かうと期待するわけですけど、その中身が問われているということですね。