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文学は本当に役に立つのか?

7月27日放送  「荒川強啓・デイキャッチ」(TBSラジオ)

ボイス  山田五郎

7月24日のネットニュースで、大阪大学文学部長の金水敏さんという方が、今年の3月の卒業生に送った「大学の文学部で学んだことがなんの役に立つのか」という式辞が、今頃になってSNS上で大きな共感を呼んでいると報じられて、ヤフーニュースにもなりました。

この金水さんという方は日本語学がご専門で、役割語という概念を提唱したことで有名です。

役割語とは例えば、物語に出てくる老人て大抵「何々じゃよ」みたいな話し方をするでしょ。

お嬢様は「何々ですことよ」みたいな話し方をする。

そうした特定の人物像を想起させる言葉遣いを金水さんが役割語と呼んで、いつどこで生まれてどう使われてきたかを研究している言語学者なんです。

この「大学の文学部で学ぶことがなんの役に立つのか」という疑問なんですけど、これってなんの役にも立たないという反語とセットですよね。

明治時代以来ずっとありますよね。

でもそれって、明治維新後欧米列強に追いつけ追い越せと富国強兵・殖産興業政策を進める中で、すぐに役立つ実学ばかりを重視してきた結果生まれた大いなる勘違いだと僕は思うんですよ。

僕は、この文学や哲学をはじめとする人文系の学問が役に立たないと思い込んでしまったことこそが、近代日本の最大の失敗のひとつであって、日本がいまだに進むべき道を見出せない原因のひとつだと思ってるんです。

ところがここ数年、明治時代以上に実学重視の傾向が強まってるじゃないですか。

大学を単なる職業訓練校と考えてるんじゃないかと感じるところもあるし、実際に人文学系の学部を減らそうという動きまで出ていますよね。

だから今回の金水文学部長の式辞も、そういう背景を踏まえて、そういった風潮の中で、文学部卒業生諸君への社会の風当たりも強まるだろう、だけど胸を張って生きて欲しいんだと、そういう願いが込められての式辞なんですよ。

こういう風におっしゃってます。

「文学部で学んだこと柄は、職業訓練ではなく、また生命や生活の利便性、社会の維持管理と直接結びつくものではありません」と。

じゃあなんの役に立つのかというとそれは、人が生きて行く上で必ず直面するいろんな「なぜ?」とか「なんのために?」とか、そういう問いに答える手がかりを与える役に立ってくれるんだと。

もちろん、そういう問いに対する答えは簡単には見つからないし、永遠に見つからないかもしれない。

それでもなお、文学部で学んだことは少なくとも、その問いそのものを見出したり、あるいはそれについて考えたりする手がかりを与えてくれる役には立つんだとおっしゃっています。

そして、僕はここが一番大事な点だと思うんですが、「人は問題を考えている間は、その問題を対象化して客観的に捉えることができる。それはつまり、その問題から自由でいられるということだ」とおっしゃています。

これはちょっと難しいんですけど、例えば「死にたい」と思った時、「なぜ死にたいのか」とか「いつどのように死のうか」とか「昔の人はこういう時どうしたんだろう」とか考えることで、自分が直面している問題というのをある程度客観視できますよね。

そこで考えてる間は、その問題に完全にとらわれない、ある意味自由でいられるというか、死なないですよ。

考えるのを諦めたり、放棄しちゃった時に、その問題に捕まっちゃうんですよ。

考えている限りは、人はその問題に完全に支配されないということをおっしゃっていると思います。

それが人間に与えられた一番の自由なんじゃないかと、モノを考えることができるということが、ということをおっしゃってると思うんですよ。

だからこの金水さんは、文学部で学んだことというのは、少なくとも個々人が生きて行く上では大いに役に立つこともあるんだよとおっしゃってるわけなんですけど、私はさらにこれは個人だけじゃなくて社会全体にとっても役に立つんじゃないのかと、そこまで言いたいですけどね。

人文系出身としては。

というのは、人文学って、いわば全ての学問にとっての基礎研究だと思うんですよ。

だから、役に立つとか立たないとか簡単に言ってくださいますけど、そもそも役に立つって何ですか。

僕にとって役に立つことと、他の人にとって役に立つことは同じことですか。

そういう問題があるわけじゃないですか。

そこを考えるのは人文学なわけですよ。

だからどんなに役に立つ学部でも、使い方を知らなかったり、間違ったりすれば、何の役にも立たなかったり、人を不幸にしたり、人類を破滅させたりしかねないじゃないですか。

ということはやはり、まず社会にとって何が幸せなのかとかいうことを考えて、その上でその幸せを実現するためにはどんな道具・知識が必要で、それをどういうふうに使うべきで、どう使っちゃいけないのか、これって実学だけでは答えが出ない問題だと思うんですよ。

それを考える手がかりを与えてくれるのは文学とか哲学とかじゃないかと思うんですよ。

やっぱり人文学っていうぐらいだから、人間のことを考えるんですから、人間にとって何がいいことなのか悪いことなのか、何が役に立つのか立たないのか、何が便利なのかということは、そこを考えなきゃいけない、本当はね。

だから、よく日本は技術は一流だけど経営が二流とか言われるじゃないですか。

技術があっても使い方を知らないとか言われるじゃないですか。

それは、明治以来実学ばかりを重視して、人文学系を軽んじてきたからじゃないかという気がするんですよ。

例えば外交とかでも、イニシアチブが取れないとか、どうやっていいのかわからずいつもアメリカの顔色を見てる、それは日本の国というものがどういうふうにすべきなのか世界の中で、それを考えることをやってこなかったからですよね。

だから人文学が役に立たないというのは大間違いで、人文学がなければ逆に全ての技術や知識というのは役に立たないんじゃないかって思います。

いくら道具ばかりあったって、役に立たない十徳ナイフみたいな状態なんですよ。

まず「何のために」を考えて、そのためには何が必要かを考えて、必要なものだけを作り、それを十分に活用するとか、そのそもそもが欠けちゃったまんま、ずっと来ちゃってる。

本当は今こそ人文学系の学部って充実させなきゃいけないはずなのに、縮小しようっていうのは、明らかに時代に逆行して行くし、日本の国力をますます衰退させることにつながっちゃうんじゃないかと、文学部出身としては言いたいです。