読むラジオニュース

ラジオニュース書き起こし

名門灘の教科書採択に国会議員が圧力?神戸新聞が過去のいざこざを報じる。

8月4日放送 「荒川強啓デイ・キャッチ!」

 

兵庫県の名門灘中学校が採択した歴史教科書をめぐり、自民党国会議員や県会議員などが過去になぜ採択したのかなどと問い合わせていたことがわかりました。

採択した学び舎が出した教科書は、他社では記述がない慰安婦問題に言及している「共に学ぶ人間の歴史」という教科書で、検定に合格しています。

しかし、おととしの年末、県会議員から問い合わせがあり、さらに年が明けてから、灘OBである自民党の森山衆議院議員からも教科書採択について、電話があったということです。

その後、批判的でしかも文面が全く同じハガキが200通以上届くなど、圧力を感じさせるような事態があったということです。

灘中学の和田校長が去年同人誌に寄稿した「いわれのない圧力の中で」と題した文章で

明らかになったものですが、このところネットで問題が再燃しまして、今日の神戸新聞がまとめたわけです。

灘中学校の和田校長は、「いわれのない圧力の中で」という文章に中で、教科書の選定についての政治家からの問い合わせや批判のハガキ、さらに採択した事実を産経新聞で取り上げられたこと、それらの発信源となっている保守系のブログなどについて触れ、最期に「多様性を否定し、ひとつの考え方しか許されないような計測感の強い社会」と批判しています。

 

荒川強啓:このニュース、宮田さんはどのあたりが気になりますか。

 

宮台真司:日本の自称保守のレベルがいかに低いかということがよくわかるね。

社会保守、つまり政治保守・経済保守ではなくて保守の本義は社会保守なんです。

そういう意味でいうと、たとえば全体主義から距離を取るべき理由も社会の保守にあるんです。

そういう観点からすると、この議員さんとかその議員さんを含む勢力を翼賛する組織、それを指導していると言われるプロデュースした人、この人たちは全部いわゆる日本で言う保守概念の浅さを表してるよね。

僕が、こういう時に思い出すのは、西ドイツとポーランドが76年に合意したドイツポーランド教科書勧告というのがあるんです。

72年から始まって76年に終結した全部で10回ぐらいのドイツとポーランドの学者さんたちの会議があって、その結果勧告が出たんです。

その勧告にはややこしいポイントがいっぱい書かれていて、ドイツとポーランドの国境線問題であるとか、特に問題なのは、強制的な住民移動が行われたことについてどう理解するか、領土変更が行われたことをどう理解するか、今後の国境線の確定についてどう考えるのかということについて、必ずしも一律の見解ではないけれども、西ドイツの従来の考え方に反省を迫るような勧告だったんです。

そのせいで、76年以降、ドイツの各自治体は、ものすごい紛糾するんです。

これを全否定するような自治体もありました。

バーデンビュルテンベルクという州が典型です。

全面的に応援する州もありました。

ブレーメン州あるいはハンブルク州なんかはそうです。

ものすごう分岐があって、しかしいろんな議論の果てに、最終的に勧告に沿った方法で教科書をつくるという方向にだんだんとまとまっていくということがあったんです。

いま、ドイツはフランスと共通教科書を歴史については使うようになった。

しかし、これは、3巻も4巻もあるようなすごく分厚い教科書なんです。

なんで分厚くなるか、たとえば従軍慰安婦問題についても、事実についての見解は3種類ある、あるいは事実についての見解とは別にこれをどう評価するかについての見解もこれだけあるというように、分かりやすく言うと、あなたは自分で考えてどの事実、どの価値が妥当だと思うのかというふうに、ディスカッションしなさいと。

ディスカッションをして、我が物としなさいというタイプの教科書で、灘中学の先生は、そういう議論をベースにした教育、これをアクティブラーニングというんですね。

大学でもいま、アクティブラーニングが推奨されています。

そのアクティブラーニングという観点から、まさに何が社会の保守に役立つのか、たとえばもともと、この勧告に対するドイツの反応は最初は反共主義的な観点から行われていた。

東ドイツに対して甘いことを言っていたらやられるぞと。

しかし、どうやら東ドイツがダメらしいということがわかってくるにつれて、今度は逆に全体主義にどう距離を取るか、ドイツの中にもあり得る全体主義に対してどう距離を取るか、全体主義に与してしまえば社会がズタズタにされてしまう。

これはドイツの過去の経験から来ているんですね。

なので、教育についてもまさにその実践なんですね。

各自治体の小さなユニットによって議論をして、それは見解がバラバラでも全然かまわない。

しかし、議論に議論を重ねて、落ち着きどころがあった場合には、それを全体でシェアしていくという流れ。

それが保守なんです。

三島由紀夫が、1970年に産経新聞に書いてる通りだよ。

愛国教育を押し付けるとか、保守的な概念を押し付けるとかということによって、保守が保全できると考えている人間は、頓馬です。