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戦争と国際法 木村草太

8月9日放送  「NHKマイあさラジオ」

 

キャスター:戦争と国際法、お話は首都大学東京大学院教授で憲法学者の木村草太さんです。

今日8月9日は長崎原爆の日です。

あれから72年が経ったんですね。

 

木村:その年月の中で、原爆の日の記憶が薄れていくことに強い危機感を抱いております。

2015年の8月3日に公表されたNHKの世論調査では、長崎の原爆の日が何月何日であるか、正しく覚えていた人が3割に満たないというかなり衝撃的な結果が出ておりました。

やはり原爆の日の記憶というのは継承していかなくてはいけないわけですし、また原爆の投下は二つの世界大戦における極めて悲惨な出来事です。

その原爆の記憶と共に二つの世界大戦を経て成立した国際法の原則についても考えて欲しいと思いました。

国際法の原則は憲法9条などの日本の憲法原則とも大きく関わっているものです。

 

キャスター:今おっしゃった国際法と戦争との関係ですけど、歴史的にはどんな経過をたどってきたんでしょうか。

 

木村:まず19世紀以前の国際法においては、戦争や武力行使はそれ自体は違法とはされておりませんで、それらを国際法違反ではないと考えられていました。

これを無差別戦争観、正しい戦争も間違った戦争もないという無差別という意味ですが戦争観と言います。

19世紀の国際法では、法の力で戦争や武力行使それ自体が完全に防げるわけではなかったので、せめて先制攻撃を禁止して、必ず宣戦布告をしてから戦争を始めようとか、民間人は虐殺しない、捕虜は虐待しないといった、戦争をやるのであればせめてそのルールを守ってくれという発想であったわけです。

しかし20世紀に入ってからは、やはり戦争や武力行使それ自体を禁止しないと平和は実現できない、また兵士の武力行使を禁止しておきながら、宣戦布告をすればいくらでも武力行使をしても良いというのでは、窃盗を処罰しながら強盗を放任するようなものだという批判も出てきて、戦争それ自体を禁止するべきだという考え方が生まれてきたわけです。

20世紀は実は二つの世界大戦の時代であると同時に不戦条約の時代でもありまして、国際連盟規約あるいは1928年のパリ不戦条約などが成立し、次第に戦争・武力行使は違法であるという考え方が一般的になってきました。

そして、1945年の6月26日には二つの世界大戦の反省を踏まえて国際連合憲章というものが出来上がってきて、この国連憲章2条4項では「全ての加盟国はその国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全または正義的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定されています。

 

キャスター:ちょっと正直難しい文章なんですけど、どういう意味でしょう。

 

木村:この条文は色々修飾が使われてるんですけど、要するにある主権国家が他の主権国家に対して武力による威嚇・武力行使・戦争をしてはいけない、武力による威嚇・武力行使・戦争は一切合切違法である、国際法違反であると宣言した内容になっております。

これでありとあらゆる武力行使・戦争が違法とされまして、現在ではこの原則は、武力不行使原則と呼ばれています。

国際法の内容は19世紀的な無差別戦争観から20世紀半ば以降武力不行使原則へと大きく転換をしたわけです。

そして当たり前のことですけど、国連加盟国は全てこの原則を国連憲章に書いてあるわけですから国際法の基本原則として承認しています。

日本の憲法9条も原則として戦争・武力行使を禁じる内容になっていますが、これは日本特有のものというよりもむしろ、現在の国際社会・国際法の基本的な考え方と言っていいと思います。

 

キャスター:ただ、いくら武力を禁じる原則があったとしても、それを破って侵略を行う国が出てくることも現実には起きてきますよね。

 

木村:もちろん国連憲章はどんな場合も武力を行使してはいけないと言っているわけではなくて、侵略国家が現れた場合はの対応を決めています。

国連憲章では集団安全保障という考え方を採用しましたが、これは侵略国が現れた場合に、被害を受けた国やその同盟国だけでなく、国際社会全体で対応しようという考え方です。

現在の国際法では、武力行使は基本的にはそれを容認する侵略を認定して、それを排除するための武力行使をして良いという国連安全保障理事会の決議がある場合に限られるのだとされています。

91年の湾岸戦争の時には、イラククウェート侵略に対して国連安保理決議を出して、それに基づいて多国籍軍武力行使が行われました。

これはもちろん適法とされております。

また安保理が対応するまで被害を受けた国が何もできないというのは酷なので、安保理が決議をするまでの間は被害国自身が個別的自衛権を行使し、また被害国から要請を受けた国が集団的自衛権を行使して被害国を防衛するための武力行使をすることが必要性と均衡性の範囲で認められるとされています。

ただし個別的自衛権集団的自衛権は、被害国への武力攻撃の着手がある場合出ないと行使できないとされています。

北朝鮮のミサイル開発問題・核開発問題で、開発が済む前に先制攻撃をというような議論も聞かれなくはないですけど、ただもちろんミサイル開発問題・核開発は国際法違反ですので外交経済上の制裁、この前安保理の決議が出ましたが、それはやってもいいんですが、ただし武力行使以外の手段に止める、あくまで北朝鮮のミサイル開発問題も北朝鮮が他の国へ武力攻撃へ着手した場合は別にして、そうでない場合には、少なくとも核兵器を開発しているにとどまる段階では、武力行使まではほかの国はやってはいけないというのが現在の国際法です。

ですから仮に先制攻撃などをした場合には、それは国際法違反だという批判を受けるということになるというのが現在の国際法な訳です。

 

キャスター:ということは先月国連で採択されました核兵器禁止条約ですけど、これは国際法上から見ても当然出てくる流れだったという気もしますね。

 

木村:やはり核兵器というのは被害があまりにも大きくて、ご指摘の通り仮に武力行使が許される状況でも、国際法の原則に照らして適法に使用できる可能性というのは非常に低い兵器な訳ですね。

当然民間人を巻き込まないかたちで核兵器を使うのは相当難しいでしょうし、ですからこの国際法の流れからしても進めて言ってほしい流れであるというのはよくわかる話です。

日本やアメリカがすぐには参加ができないという事情はわかりますけど、国際法の大きな流れの中で条約の意味を考えてほしいと思います。

 

キャスター:ただ、原則というのはあくまでも原則で、それを守らない国があると結局それに対応する武力が発動されてしまうと、原則に意味があるのかという声も出てきそうなんですけど、木村さんはどうお考えですか。

 

木村:もちろん国際連合は当初期待されたほどの役割は果たしてないというのは、20世紀から指摘されていたことであります。

ただそうは言っても、20世紀の後半以降は主権国家同士が本格的に戦争を行うという事態、2度の世界大戦のような事態は非常に少なくなってきています。

戦争が少なくなったことについては、いろんな理由が指摘されますが、現に侵略を行なっている国以外の国には武力行使は絶対に許されないというルールが確立し、また19世紀は安全保障というのは軍事同盟に頼っていたんですが、軍事同盟というのは常にお互いに仮想敵国を想定して同盟国の結束を、敵国に対する敵愾心を煽ることによって固めるということをしなければならない枠組みなんですが、戦後は国際連合の下で、もちろん冷戦等はあるんですが、しかし曲がりなりにも国際協調を原則とする枠組みができたこと、これも20世紀後半以降戦争が少なくなった大きな要因と言っていいと思います。

ですから武力不行使原則は二度の世界大戦の悲惨な体験を経て、多くの人の努力によって確立した、そしてそれは非常に大きな役割を果たしている国際法原則であるということは否定できないと思います。

ぜひ、長崎原爆の日には、憲法9上のこともそして国際法のことも考えてほしいと思っています。