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道徳教育について NHKマイあさラジオ・今週のオピニオン

NHKラジオ「マイあさラジオ」5月19日放送

解説:現代位相研究所 首席研究員・堀内進之介

 

アナウンサー:道徳というと、小中学校で道徳の授業が教科になる、先生の評価の対象になる、ということが話題になっていますけど、道徳を教えるというのは、よくよく考えてみると、どういうことなんだろうという気もしてきますよね。

そもそも道徳というのはどういうものなんだと考えればいいんでしょうか。

 

堀内:とても複雑で矛盾に満ちたもの、捉えにくいものだと思います。

たとえば、仏教で因果応報なんて言ったりしますけど、実際にそうかどうかは別にしても、いいことをすればいいことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが起きるとか。

自分の行為が何らかのかたちで報われると思いたい、なんて考えがありますよね。

他人には親切にしなさいとか、そうすれば巡り巡って自分にもいいことが起きる、情けは人のためならず、というやつですけど、これが典型だと思います。

でもそれだけではなくて、もっと打算的なものも道徳的だと考える国もあるわけなんです。

この人は将来偉くなるだろうから今親切にしておこう、というのも道徳のひとつとして捉える国もあったりします。

向こうもこちらも巡り巡って幸せになって相互援助の関係にあるわけですから、これもひとつの文化としていいんじゃないかという考え方です。

中国やユダヤなんてのがそうした傾向があるといえます。

 

アナウンサー:国や文化によって道徳についての考え方って色々あるんですね。

たしかに、いいことをしても報われなかった場合、誰もいいことをしようとは思わないというのはよくわかりますね。

 

堀内:普通に考えればそうですよね。

ところが面白いことに、道徳の場合はそれだけではないんです。

もしもいいことをして報われるだけなのであれば、損得や利害によるある種の取引と変わらなくなるんです。

 

アナウンサー:報われるためにする、というのであれば、あまり親切な感じがしないですね。

 

堀内:われわれは、いいことをしたらいいことの報いがあると思いたい一方で、損になるかもしれないと分かっていても、いいことをしようと、いいことをすることを立派だと思う傾向だってありますよね。

線路に人が落ちたら助けてしまう、川で溺れている人がいたら危険を顧みずに飛び込んで助けてしまう、ということも道徳・美徳として語られるわけですね。

つまり損得を超えて良いことをすることを道徳的だと考えたがるのが我々人間というものなんじゃないですかね。

 

アナウンサー:いいことをすれば報われますよというのも道徳的だと感じますし、損になるかもしれないけどやりますというのも道徳的だなと感じるんです。

一言で道徳はこういうものだ、と単純に示すのは難しいんでしょうかね。

 

堀内:道徳はたくさんの矛盾を抱えています。

良いことをしたら報われる、損をするけれどしたほうがいい、その矛盾のバランスをどう取るのか。

地域社会やムラ社会がしっかりあった時には、その単位の中では、経験的にそれなりに分かっていて決まってきたものだろうと言えると思います。

ところが、今はそれがあまりうまく行っていないんですね。

では、いったい誰がそれを決めることができるのか。

そもそも「良い」というのが時代とともに変わってきたわけです。

戦時中には国のために死ぬことが良いことだったわけですし、そのことを国から褒められることが報われるということだったわけです。

そうした感覚を今の社会全体で合意するというのは大変難しいことですよね。

つまり社会全体の合意点というものを捉えるのはとても難しくなってきているというわけです。

でも、もしかしたらビッグデータの中にその答えがあるかもしれない。

人々が発信した様々な情報を人工知能が解析して、この辺りが社会の合意らしいなんてことを示すことができるかもしれないわけです。

その場合道徳は、人間ではなくてAIが示すということになるかもしれないですね。

 

アナウンサー:AIが示したものを道徳と受け入れるのは、すぐには難しい気がしますけど。

では、そうした状況で道徳を身につけるということについて、どんなことを現実的には考えなければいけないんでしょうか。

 

堀内:現代では規律とか訓練によって、流儀や規則を自分のものにする、内面化すると言いますけど、ということよりも、自分の考えや行動の癖みたいなものを認めたうえで、なるべくそれに逆らわないような仕方でうまく行為を促すような、環境を作ろうという「環境化」というものも進んでいます。

トイレをきれいに使ってもらおうという時に、「トイレはきれいに使いましょう」という道徳を貼り紙しておくのではなくて、男性の場合であれば尿を出す時のトイレの容器に的のような印をつけて放尿の時に思わずそれを狙いたくなるようにする、そんなことによって、結果的にトイレをきれいに使ってもらうようにするというような方法があったりします。

 

アナウンサー:そうした環境で人々の行動を誘導していくだけの社会というのは、ちょっとさびしい感じもしますし、全く道徳感情がなくてもいいというのも違うという気がしますけど。

 

堀内:そうだとしても、道徳感情というものは、幼少期からの反復によって形成されるものですから、就学してから学校教育によって学習させるのはとても難しいことなんですね。

とても手間がかかる上に、あまりうまくいかない。

返って反発や反感を生む場合だってあると思います。

下手をすると、特定の信念とか価値観の押し付けになってしまう、ということだってあるわけです。

ただ、だからと言って、親の愛情が絶対に必要だとか、3歳までの幼児教育が大事だというわけでもありません。

むしろ事実は反対でして、親の子どもに与える影響は限られていて、友達の影響、周りの環境の方がはるかに大きいわけですよね。

1、2歳までの子どもは施設に預けた方が親による虐待が減る、なんてことが日本のデータでも明らかになっていたりします。

就学してからの道徳教育にお金をかけるくらいであれば、保育園を無償化したり、ひとり親の家庭の補助に振り向けたりした方がよっぽど教育効果は高いんじゃないでしょうか。

 

アナウンサー:道徳については人によって考え方がありますけど、ひとつの示唆をいただきました。