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報道の自由度ランキングの背景にあるもの

NHKマイあさラジオ「社会の見方・私の視点」 5月19日放送

解説:京都大学大学院教授・佐藤卓己

 

司会:先月、2017年の世界報道自由度ランキングが発表されました。

 

日本は180の国と地域のうち、去年に続いて72位でした。

 

あらためて世界報道自由度ランキングというのはどういうものだと考えればいいんでしょうか。

 

 

佐藤:NGOの「国境なき記者団」が2002年から、2011年はやっていないんですけど、それを除いて毎年発表しているデータです。

 

一般には「報道の自由度ランキング」といわれています。

 

日本は2010年の11位から、ここ数年、年々順位を下げている、ということが新聞やテレビで報道されています。

 

実際、昨年と同じ72位というのは、G7の先進国の中で最も低い位置にあります。

 

しかし、昨年69位だった香港の場合を考えると、中国政府が厳しい言論弾圧を行っているわけですけど、日本よりも自由度が高いということになっていました。

 

 

司会:そう伺いますと、ちょっと違和感がある気がするんですけども、このランキングはどうやって決めているんでしょうか。

 

 

佐藤:一つはその国の専門家によるアンケート調査です。

 

専門家というのは、報道関係者、弁護士、メディアの研究者などが含まれます。

 

もう一つは、ジャーナリストに対する暴力の威嚇や行使などのデータも、それに加えられる、ということになっています。

 

たとえば、韓国でパククネ大統領の名誉を棄損したとして産経新聞のソウル支局長が刑事裁判にかけられ、長期にわたり出国禁止になったような事件などを記憶しておられる方も多いと思います。

 

この事件では、国境なき記者団も批判声明を出しています。

 

しかし、この事件当時、2014年のランキングで韓国は57位、日本は56位ですから、こうした記者への暴力・威嚇のデータは、アンケートほどには自由度に反映されていないということになります。

 

つまり、報道関係者、弁護士、研究者など、いわゆる専門家が前年と比べて報道の自由度を実感できたかどうか、というのが大きなポイントになります。

 

たとえば韓国は昨年の70位から今年の63位に順位を上げていますが、支持率が一桁台まで下落したパク大統領を思う存分に批判できたという解放感によると考えるべきかもしれません。

 

この解放感つまりジャーナリズムを覆う空気、もっと言えばそこから生まれる体感自由度が、ランキングを左右すると考えます。

 

 

司会:今仰った「体感自由度」というのはどういうものだと考えればいいですか。

 

 

佐藤:実は私が作った言葉なんですけど、いわゆる「体感治安」という言葉はご存知でしょうか。

 

現実に発生した犯罪認知件数や検挙数とは別に、人々が日頃抱いている治安に対するイメージを指して言います。

 

日本は今も最も安全な国の一つですけれども、治安が悪化していると感じている国民は少なくありません。

 

未成年者による殺人事件がメディアによってセンセーショナルに報じられる一方で、統計的に見れば少年の重大犯罪は減少しているというというのが実態です。

 

その意味では、体感治安の悪化はメディア接触によって生まれたもの、ということもできます。

 

体感自由度というのは、実際に報道が自由であるかどうかという現実よりも、報道関係者など専門家が自由度についてどのように感じているかということを示すものです。

 

つまり、現実よりも体感が悪化しているというわけです。

 

 

司会:ということは、客観的な自由度はさほど下がっていないということでしょうか。

 

 

佐藤:そのあたりは説明が必要なのかもしれません。

 

国境なき記者団は、報道の自由度の下落要因として、特定秘密保護法や安倍政権の強圧的な態度などの影響で日本の報道機関が自己検閲状態に陥っていることをあげています。

 

しかし、メディアの自己検閲というのであれば、何も近年に始まったものではありません。

 

安倍政権になって急速に強化されたというわけでもありません。

 

そもそも、特定秘密保護法というのであれば、それを準備したのは民主党の管内閣です。

 

2010年の尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件の映像流出に対する法整備が直接の動機だったはずです。

 

 

司会:となりますと、体感自由度は下がっていると、多くの関係者が感じる理由はどこにありますか。

 

 

佐藤:私は体感自由度との関係では、内閣支持率に基づく世論調査政治が大きく影響しているのではないかと考えています。

 

 

司会内閣支持率ですか。

 

 

佐藤:ええ。これまで内閣支持率が20%を切ると内閣が退陣してきました。

 

新聞もテレビも20%に近付くと危険水域と書き立てて、退陣を促すような政権批判を展開してきました。

 

この時とばかりにメディアが、自由に政権を批判できる状況、つまり内閣支持率が低い状況では体感自由度は高いということです。

 

ところが、今の内閣は非常に支持率が高いわけですね。

 

多少問題のある閣僚の発言などが出ても、政権が揺るがないわけです。

 

例としては、総務大臣が放送局に電波の停止をちらつかせるような発言、自民党の議員が研究会で偏向報道をしているメディアに広告を出している会社に圧力をかけるべきだと発言するなど、こうした放言もある意味で高い内閣支持率を背景に出ていると考えるべきかもしれません。

 

こうした強圧的な言動が出ても、内閣支持率そのものは下がらず、政権は維持されているわけですから、メディア関係者のストレスは高まり、体感自由度も下がってしまうということは、ある意味仕方ないことといえるかもしれません。

 

実際、報道の自由度が高くなるのは、内閣支持率が低い時期と重なります。

 

たとえば、日本の自由度ランキングが上昇した時代は、第1次安倍内閣福田内閣麻生内閣と支持率が急速に低下した自民党の短命内閣時代です。

 

民主党の鳩山・菅内閣時代に最も高くなったわけですけれども、これらの内閣も支持率急落の短命内閣だということができます。

 

この時代、メディアは世論をバックに思う存分に政権が批判できたわけです。

 

確かに、この時期民主党政権は、記者クラブの一部自由化など、フリーランスの記者にも記者会見への参加を開放しました。

 

しかし、それが急に現在クローズされているというわけではありません。

 

なので、そうした自由化が体感自由度の上昇の主な原因になったとは思いません。

 

それよりも、内閣支持率が低くなって、思う存分政権批判が自由にできたという感覚が自由度を高めた要因だというふうに考えるべきかもしれません。

 

 

司会:そのように指摘されると相関関係はあるようにも見えますね。

 

 

佐藤:ただ、そこのあたりは冷静にあるいは慎重に考えなければいけないと思います。

 

内閣支持率は、一つの指標であるには違いありませんが、調査に答えている回答者というのが、必ずしも十分に考えて答えたものとは言い難いわけです。

 

調査対象者の下に、夕方突然電話がかかってきて、そこで支持するか支持しないかと即答を求められた世論というのは、その時々の国民感情ではあっても、明確な政治的意見というものではない、ということは、押さえておく必要があるポイントだろうと思います。

 

その日あるいは明日のニュース次第で、支持が不支持に変わる、あるいは不支持が支持に変わるような、政治的な気分というものを、明確な政治的な意思というふうに考えるべきではないかもしれません。

 

こうした世論調査報道は、内閣支持率の数字だけで、複雑な因果関係の考察を中抜きしてしまう、私はそれを「ファスト政治」「高速政治」といいますけども、そうした思考を中抜きする政治というものを加速させているのではないかと考えます。

 

そのことをジャーナリズムの側でどうとらえるのか、ということがここで問題になっているわけで、そうした世論調査政治あるいは内閣支持率のような数字で空気を読んで報道を自粛する・しない、といったようなやり方というのを改めていくということが重要だと思います。

 

そもそも、ジャーナリズムっていうのは、空気のない状態あるいは権力の介入のない真空状態の中で行われるものではないという現実を見つめる必要があるのではないかと思います。

 

空気があれば、当然摩擦も生じます。

 

政治権力の介入のない言論空間を想定したうえで報道の自由を論じる、というのは政治学の理論としてはあり得るかもしれませんが、実際の報道ではおそらくあり得ないことです。

 

報道の自由で問われるのは、まず自己規制を超えて政治権力と向き合うジャーナリストの覚悟なのではないかと思います。