高校や大学に行かせることだけが子供の貧困対策じゃない
ボイス・山田五郎
6月27日に厚生労働省が、国民生活基礎調査というものを発表しました。
それによりますと、日本の子供の相対貧困率が2015年に13.9%となって、
史上最悪だった前回2012年の調査よりも2.4ポイント下がった。
12年ぶりに改善に転じたと、新聞各紙報じてます。
13.9%というと7人に1人です。
ここでいう子どもは18歳未満の国民のことです。
相対貧困率というのが計算が凄く複雑なんです。
世帯の手取り収入を世帯人数の平方根で割った投下可処分所得の中央値の半分に満たない人の率なんですよ。
なんのこっちゃよくわからないんですけど、2015年の手取りの中央値は1人当たり245万円なんですよ。
3人家族を例にとると、手取り世帯収入は、約424万円。
その半分、世帯収入として212万円に満たない3人家族の親子は相対的貧困状況にあると、そんな目安だと感じてください。
18歳未満のうち13.9%がその相対的貧困状態にあるということです。
減ったとはいえ、7人に1人の割合というのは、決して低い数字ではない。
朝日新聞によると、OECDに加盟している先進国2013年の平均は13.2%。
だから、日本はそれ以上です。
主要36か国中24位です。
デンマーク 2.7%
韓国 7.1%
日本の子供の貧困率が、依然として高いということがよくわかると思います。
で、この状況をどうやって改善するかということになると、
必ずさらなる経済的支援が必要だということになりますよね。
私も基本的に賛成なんですけども、
ちょっと引っかかる点もあるんですよ。
それは、行政もなんですけどメディアも、
貧困家庭の子供たちが高等教育を受けられるように支援するべきだという発想だけにとらわれてるような気がして、これが二つの点で引っかかるんですよ。
まず第一には、経済的理由で高等教育を受けられなくなってるのは、いまや相対的貧困家庭の子供に限りませんよね。
平均的な収入の家庭でも、子供を大学まで進学させることが非常に難しくなっているわけですよ。
つまり、この点に関してのそもそもの問題は、貧困の問題じゃなくて、もちろんそれもあるかもしれないけどそれ以上に、日本の高等教育にお金がかかり過ぎることなんですよ。
日本の教育費の国民負担率っていうのは、OECD加盟国平均と比べてほぼ2倍なんですよ。
これが諸悪の根源なんですよ。
だから本当に目指すべきは、高等教育の無償化なんです。
貧困家庭の経済支援ていうのは、そこに至るまでのある意味応急処置に過ぎないと。
それを忘れちゃいけないんじゃないかなと思います。
とにかく高等教育が高い。
これをどうにかしなきゃいけない。ホントはね。
次に、これも家庭の経済状況にかかわらずなんですけど、果たして全ての子供達が本当に高等教育を受けたがってるのかっていう問題があると思うんですよ。
私はそうは思わないんですよね。
行政もメディアも、子供達本人の意思とか希望を無視して、とにかく高等教育は受けた方がいいみたいな、そう頭から決めつけて、無意識のうちにその価値観を押し付けてるんじゃないかなという気がしてならないんですよ。
本人に強い意志や希望がないのに、経済的支援をしてまで高校に行かせたって、本人にとっても社会にとっても、あまりいいことないんじゃないかなという気がしますけどね。
高校生になればもう遊びたい盛りじゃないですか、勉強する気なくて高校に行けば、単に遊ぶだけに終わっちゃいがちですよ。
そうすると遊ぶ金が欲しくなりますよね。
でもなまじ高校に通ってるからフルタイムの定職にはつけないですよね。
一方で高校生ともなれば、体は大人ですからね。
風俗や売春だとか薬物売買だとかいった楽して稼げる違法バイトの誘惑も多くなるわけですよ。
下手すりゃ、高校自体がそういう違法バイトを後輩とか友達に仲介する、そういう場所になってたりするわけですよ。
一旦そういう道に足を踏み入れたら、基本的にはやってる本人も違法だから、なんかあった場合も親にも先生にも警察にも相談できないってなって、どんどん深みにはまって行っちゃうっていう、そういう最悪のケースが、本当に最悪のケースだけど、珍しいケースでもないわけですよ。
現実に起きている事態なんですよね。
そうなると、何のために高校まで行かせたのかわからないじゃないですか。
もちろん、勉強嫌いでもちゃんと道を踏み外さず、卒業する子もたくさんいますよね。
でも、それでもやっぱり、勉強しなければわざわざお金をかけて高校に行く必要はあったのってなりますよね。
だったら勉強嫌いな子は、中学卒業した時点で、真っ当な定職につけるような環境を整えて、その就労を支援してあげた方が、子供のためにもなるし、社会のためにもなるんじゃないかと思うんですよね。
だって、日本の義務教育って中学までですよね。
ということは、つまり中学までの勉強をちゃんとやっていれば、社会人として十分に生きていけるってことですよね。
だからそれでいいわけですよ。
高度成長期なんか、中学卒業して集団就職する子供たちを、受け入れるシステムがあったじゃないですか、社会全体に。
そういう人たちの中から、今の日本の町工場の高度な技術を支える職人さん、神の手を持つ職人さんたちが、出て来たわけですよね。
やっぱり精密加工とか機械じゃできないような高度な技術というのは、若いうちからやらないと身につかない。
始めるのは、若ければ若いほどいいって言いますからね。
集団就職世代が続々引退して行ってますよね。
そうすると技術の継承が、すごく急がれてる課題でもあるんですよ。
だったら、やっぱり勉強が嫌いだったりする子は、中学卒業した時点で、手に職をつけるように導いてやった方が、本人のためでもあるし、社会のためでもあるんじゃないかなっていう気がしますけどね。
今、中学でそんなこと全然やってないでしょ。
高校行くのが当たり前ぐらいの感じで、とにかく出しちゃえばって、就職の世話とかしてないですよね。
選択肢っていうと高校に行くかプーになるかみたいになってるんですけど。
ちゃんと仕事を世話してやって、それで自分で稼げるようになる。
特に貧しい家庭なんかの場合、親に問題があるケースも結構あるわけですよ。
そういう場合、早く独立させてやった方がいいケースも結構ありますよね。
それで自信にもなりますしね。
こういう話をすると、そうは言っても15歳の子供に進路を決めさせるのは酷だ、そこで判断できないこともあるっておっしゃる方もおられると思うんですけど、それだったら、中学出て就職して社会に出てから、やっぱり勉強が必要だと思ったら、そこから高校や大学に入り直してもいいと思うんですよ。
それを支援してあげればいいと思うんですよ。
そうやって自分で必要だと思って入り直せば、勉強するんですよ、その人は、間違いなく。
そういう人を支援してあげようじゃないですかって思うんですよね。
とにかく、貧困とか家庭の経済状況は、本当は関係ないんですよ。
勉強が嫌いな子に経済的な支援をしてまでね、ただでさえ高すぎる日本の高等教育を受けさせるっていうことに、意味があるんだろうかっていうように思うんですけど、いかかでしょうか。
だから、学歴偏重っていうのも改めないとダメですよ。
それぞれの子達が、それぞれの得意分野、それぞれの才能を発揮できるような、そういう社会にしていかないとダメだと思うんですけどね。
そうしないと本当に、産業とかそういう部分もダメになっていってしまうと思うんですけどね。
大人に囲まれて育って行く方が、子供達にとってもいいと思いますけどね。