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公文書や記録は誰のものか NHKラジオ「先読み!夕方ニュース」

NHKラジオ「先読み!夕方ニュース」6月7日放送

解説:清永聡解説委員

 

アナウンサー:行政文書が短い期間で捨てられる。

あるはずの記録が見つからないと言われる。

いま、国の行政文書や記録をめぐって次々と問題が指摘されています。

最近公文書が問題になったのが、南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報の問題、森友学園をめぐる国有地の払い下げの問題、それから加計学園をめぐり内閣府文部科学省のやり取りを記したとされる文書の問題、次々と明らかになっている印象です。

そもそも文書管理の仕組みはどうなっているんですか。

 

清永:いまの制度では、各行政機関が内容に応じて保存期間を30年から1年などに分けていきます。

そして、ファイルを作って管理簿にまとめる。

この管理簿というのは、ネットでも公開されて私たちが情報公開請求する際に参考にすることができるんです。

保存期間が過ぎて廃棄する時には、総理大臣の同意を必要とするという条件もついています。

 

アナウンサー:総理大臣の同意がなければ廃棄できないと。

ずいぶん厳格な規定という印象を受けますね。

 

清永:ところが、これに例外があるんですね。

各省庁は規則とか細則で、先ほど言ったものとは別の区分、保存期間1年未満というもうひとつのルールを作っています。

この1年未満の文書に大きな問題があるんです。

行政文書なのに先ほど言った管理簿にも載せられず、それから国立公文書館などにもうつされず、そして廃棄するのは自分たちの判断で出来るんです。

つまり、いつどういう文書が作られた廃棄されたか、法律上記録が残らないことになります。

さきほど言った陸上自衛隊の日報、それから森友学園をめぐる交渉記録、いずれもこの1年未満という扱いでした。

 

アナウンサー:いずれも結構重要な記録だと思うんですけど。

1年未満でいいんですか。

 

清永:この現状は市民団体の情報公開クリアリングハウスの三木由希子さんも「ブラックボックス」と呼んでいます。

なぜなら、どうしてそうなったか誰も検証できないからなんです。

そもそもこのうち森友学園をめぐる文書については少なくとも5年間の保存期間に該当するはずだと、国に裁判を起こしています。

 

アナウンサー:政府はどう説明しているんですか。

 

清永:政府は、この文書がなくてもその後の決済文書が保存されているから問題はないなどと説明しています。

ただ、これは例外です。

この例外がどこまでも広がれば、制度は骨抜きになってしまいます。

少なくとも1年未満とする定義や要件は、もっと明確にすることが欠かせないと思います。

 

アナウンサー:もうひとつ問題になっている加計学園の文書をめぐる文書なんですけど、これはいまも文部科学書内の個人のパソコンに保管されているということがNHKの取材で明らかになったいますけど、これはどういった点がポイントなんですか。

 

清永:これは、ポイントはひとつで、行政文書の定義なんです。

定義というのはどういうことかというと、公開の対象となる文書というのは職務上作成して組織的に用いる、そして組織で保管することなど、なんです。

ところが文科省は、この文書については担当課の共有フォルダなどを調べたけど確認できなかったと説明しています。

ただこれは個人のパソコンまで調べていません。

それは先ほど言いました通り、行政文書は共有フォルダに入っているはずで、個人のパソコンに入っているには個人のメモだ、という考え方があるんじゃないかと思います。

 

アナウンサー:個人のパソコンと言っても、業務用の個人のパソコンですよね。

 

清永:そうなんです。

本当に個人の持ち物ではなくて、省庁から個人に貸与されている業務用のパソコン、だからこのパソコンが個人のものとはならないと専門家も言っています。

そもそも今回の文書は、説明資料として作成された、そして19人に送られたとここまでの報道でされています。

3人の専門家に意見を聞いたんですけど、全員行政文書にあたる可能性が高いと指摘していました。

文部科学省は、再調査を行わない方針なんですが、これが公開すべき行政文書に当たるかどうかをはっきりさせるためにも、改めて調査をするべきだと思います。

情報公開というのは、行政のプロセスを透明化するうえで欠かせないものです。

公文書管理法は1条で公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけています。

それだけに健全な民主主義が損なわれていないか、国民の疑問を取り除くことが、まず求められると思います。

 

アナウンサー:この文書を19人に送られていたとしたら、それを文部科学省の職員の人たちは目にしているわけですよね。

公にために働こうとしている人たちがいま、あったものがなかったことになっているのだとしたら、どういう気持ちでいるんだろうなと思ってしまいます。